56「蒼い炎」

麻雀プロとして生きて行くために、彼は上京してきた。
痩躯の、穏やかな若者である。
彼は、温厚さの中に、静かな情熱を湛えていた。
地元で大学に通いながらメンバー業に就いていたが、麻雀への熱意を抑え切れず、故郷を飛び出してプロの門を叩いた。

勿論麻雀プロの生活は、平易な道ではない。
が、彼には一つ支えがあった。
どんな出会いがあったのか――、身寄りのない彼を拾ったのは、東京の雀荘で知り合った女性だった。
彼は彼女の部屋から勤めの店に通い、休日にはプロ活動に専念した。
彼女の存在が、彼の唯一の拠り所になっていた。

彼自身は、極めて真面目な子だった。
平素から細かい牌理を取り上げ、妥協することなく打牌の優劣を考えていた。
よく牌姿を店に持って来ては、打牌選択と変化の方向性を同僚と論じていた。

四萬五萬五萬六萬六萬六萬三筒三筒三筒七筒二索三索四索七索

「この形で七筒七索を切るなら、どちらにしますか?」

「さあ・・場況で安い方の色を残すかな」

至極浅薄な返答をした私に――、やや不満そうな表情で彼は言った。

「この形は、5がくっついた場合の仮聴で、優劣があるんですよ」

四萬五萬六萬六萬六萬三筒三筒三筒五筒七筒二索三索四索


四萬五萬六萬六萬六萬三筒三筒三筒二索三索四索五索七索

「――ほら。共に仮聴を取ったとして、両面以上の変化を見れば、索子の形の方がいいでしょう?」

確かに、筒子の望ましい変化が四筒五筒七筒八筒の4種に対して、索子は一索二索三索四索五索七索八索の7種である。
勿論これは瑣末な問題で、勝敗の要因に、深く関わるものではないかもしれない。
麻雀の本質は、押し引きとか場況とか、もっと大雑把な部分にある。

実際の和了り易さだけ見れば――、私が思慮なく答えたように、場の色の強さで決着することも多いだろう。
それでも彼は、そういった繊細な部分にこだわりを持って、プロの道を究めようとしている。
例えるなら、静かに煌く、蒼い炎を感じさせる子だった。

ところが、支えとしていた彼女の方は、やや奔放な性格だった。
気紛れに男友達に飛び火して遊び歩いては、よく彼を不安にさせていた。
ある日彼は、所属するプロ団体のリーグ戦で大敗を喫する。
挫折を抱えて帰宅した彼が眼にしたのは、彼女の部屋のベッドで眠る、彼女と、見知らぬ男性だった。
ありふれた話といえば、そうかもしれない。
ただ、人一倍繊細な彼が、その光景にどれだけ傷ついたのかは、想像に難くない。
彼は、二人を起こして罵倒することなどなく、静かに荷物をまとめ、部屋を出て行った。
彼を拾ったのも、彼女の気紛れのうちだったのだろう――。
そう悟って、消えかかった蒼い炎を必死に守った。

彼はこの春、念願のリーグ昇級を果たす。
まだまだ麻雀プロとしての道程は始まったばかりだが、周囲の評価も高く、将来を嘱望されている。

繊細であることは、弱みであり、強みだ。
蒼い情熱は確かに、彼を燃やし続けている。
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「代走」

十年前、メンバーに就いた最初の日、初めての代走をした。
当時の店長が、新米の私に練習で打たせたのである。
西家で西バッタの聴牌をした。
昔は代走の心得というものがそれなりにあって、鳴くな、打つな、リーチをするな、と言われていた。
緊張に体を強張らせながらダマにしていた。
親が西をツモ切って、私は震える声で和了りを宣言した。

「ロ、ロ、ロンです――」

すると親が顔をしかめ、喚き散らした。

「なんだその言い方は――。ポンロンだな。チョンボ!」

動揺する私を店長は優しく制し、いいよいいよ、と笑って罰符を支払った。

若い私は冤罪にうなだれたが、発声が拙くてトラブルを起こしたのは事実だ。
店長が教えてくれたのは――、代走を頼んだ人間は、どのような結果になろうとも黙するべきだということである。
店長も、自身が代走の難しさを分かっているからこそ、私の負担にならぬよう、軽く流してくれたのだろう。
ただそれを、全ての客が理解してくれるものだろうか?

先日、常連の代走に入ったときのこと。
ドラが中で、序盤に対面がカン七筒を引っ掛けていた。

裏裏裏裏裏裏裏裏裏裏 七筒横六筒八筒 ドラ中

そして道中、対面が手出しで一萬を切る。

タンヤオを否定する、傷である――。
中以外の役牌は場に枯れていた。
その後、少考して打七索二索をポンして、もう1枚手出しの七索――。

裏裏裏裏裏裏裏 二索二索二索横 七筒横六筒八筒 ドラ中

河はこのようになっている。

一筒北七萬三筒五索
九萬五筒一萬七索白
一索七索


代走の私の手牌はこの形。

二萬三萬七筒八筒四索五索六索六索六索九索九索九索中 ドラ中


対面は、中八索の片和了りバッタで間違いないだろう。
そこへ、私の上家が、八索を河へ放ってきた。

「――!」
同巡私は不要牌を引いてきたが――、ドラの中を切るなら今しかない。
しかし、代走でこの手牌から生牌のドラを手放すこと、それがどのような結果になろうとも、
それを甘受するよう客に強いることが当たり前なのだろうか。
結局私は、中を握り潰して降りた。
流局して開けられた対面の手牌が、予想と寸分違わずとも、むしろそれは悲しい符合でしかなかった。

二萬三萬四萬八索八索中中 二索二索二索横 七筒横六筒八筒 ドラ中


戻ってきた客は、無論何も問うことなくノーテン罰符を支払った。

昨今は、代走にも特に規制を設けない所が多い。
代走の仕掛けや和了りに対して、周囲も寛容になってきた風潮はある。
それでも万人に対し、代走の自由を主張することは難しい。
放銃すれば、頼んだ客も不満だろうし、和了ったとしても他の3人はいい顔をしないものだ。
誰もが店長のように思ってくれるわけもない。

代走の制約は過去の悪しき風習かもしれないが――、
下らない文句を一手に受けないように、出しゃばったことをしないのも一つの方策なのだ。
客の意識を改革するより、その方が安易なのだから。
自嘲気味に言えば――、それも代走の自由じゃないか。
店長僕は、間違っていますか――。
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「アルカイック・スマイル」

仕方のないことだが――、店で女の子を何人か雇っていたときは、多少なりとも男女関係のトラブルはあった。
中でも彼女は、その美しい容姿と悪戯っぽい性格のためか、男の噂も尽きなかった。

「そのうち痛い目に遭っちゃえばいいのに」

付き合っている彼氏が変わったりすると、彼女はよく、他の女の子からそんな風になぶられた。
店のメンバーだったり客だったり、確かに彼女もお盛んな方だったかもしれない。
それでも、彼女自身は素直で、奔放に生きているだけの子だったと思う。
誰かを傷つけようとか、自分が得したいとか、そういう歪んだ悪意は持ち合わせていなかった。
ただ周囲の男たちが色めき立って、彼女にまとわりついていただけだ。
彼女は笑顔を絶やさない性質だったし、諍いや揉め事を望む子でもなかった。

「痛い目、ってなんだろうね――」

彼女は私の方を見て、ただ穏やかに笑った。

「強姦とか?あるよ。堕胎?それもある」

普段の笑顔のまま、涼しげに彼女が呟いた。

「適当に麻雀やって、適当に男の子とも遊んで生きてるからね。そりゃあ皺寄せもあるよ――」

オーラス、彼女は和了りトップでこの形だった。

二萬二萬三萬五萬七萬八萬八萬八萬二筒三筒四筒中中

河に萬子は一様に安いが、リャンカンを埋める四萬六萬も場に2枚ずつ走っている。
そこへ脇から中が飛び出す。

「――ポン」

彼女が透き通る声を放つ。そして暫しの少考をした。

二萬二萬三萬五萬七萬八萬八萬八萬二筒三筒四筒 中中中(ポン)

三萬でカン六萬に受けるか、打七萬でカン四萬に受けるか。
ただ、共に2枚走っているカンチャンではいずれも厳しい。
三萬なら二萬のポンで三面張へ変化する。
七萬ならツモ二萬かツモ五萬で両面以上になる。どちらで聴牌を取るべきなのか――。
私の心配をよそに、彼女がそのしなやかな指で卓上に滑らせた牌は、五萬であった。

二萬二萬三萬七萬八萬八萬八萬二筒三筒四筒 中中中(ポン)
同卓の男たちは、終始急かされるように強打を繰り返していた。
彼らなら、がつがつと聴牌に固執し、勘よく、選んだカンチャンを引き寄せることもあるかもしれない。
彼女は、独りで穏やかな水面を泳ぐように、ゆったりと聴牌を外したのだ。
そうして上家の叩き切った九萬をチーして、対面の投げた一萬で出和了りをした。
彼女だけ、違う空気の中で麻雀を打っているようだった。

彼女はその後、客の子供を妊娠して、結婚をする。
それからその客は、彼女の金を持ち逃げして行方をくらました。

赤ん坊を抱えた彼女と、1回だけセットを打ったことがある。
彼女に悲愴な雰囲気など微塵も無く、以前と同じように暖かな笑みで、赤ん坊をあやしながら牌をつまんでいた。
彼女とその子供の周りだけ――、やはり悠然と、時間が流れているようだった。
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鳴き

割と私は仕掛けが多い方だと思う。
両面からでも頻繁に鳴くし、時には露骨な一発消しもする。
「両面鳴くは男の恥よ」と、年輩の客に揶揄されることもあった。
特にメンバーとしての麻雀だと、食い散らかすスタイルは忌み嫌われる場合が多いだろう。
東風戦で働くようになって、多少客層も仕掛けに寛容になってきたが――、
門前麻雀が美徳のように讃えられる古い風潮には、いい加減嫌気が差していた。

近頃訪れるようになったそのサラリーマンは、Aさんといった。
平素の落ち着いた物腰にはどことなく自信が満ち溢れ、会社でも精力的な働き手であることは容易に想像がついた。
同志と言っては失礼かもしれないが、Aさんも手数は多い打ち手だった。 

「仕事でもね、じっとしてないで動く方だから。麻雀も鳴きは重要だよ」

私は力強い賛同者を得たような気がして、Aさんの麻雀に興味を持つようになった。

オーラス、親番のAさんは5800を和了ればトップという位置だった。
序盤からAさんはこの形。

三萬四萬二筒三筒三筒四筒五筒六筒七筒八筒五索赤六索六索 ドラ六索

二萬五萬一筒四筒の平和イーシャンテンである。
四筒からなら仕掛けて5800の聴牌を取れるが、まず門前で片は付くだろう。
ところが中盤を過ぎても、Aさんの手は全く動かない。
他家が着々と手を進める中、それでもAさんはじりじりと好牌を待つしかなかった。
そこへ上家が六筒を切ってきた。

「チー」
間髪入れず、Aさんが七筒八筒を晒し、打二筒とする。

三萬四萬三筒三筒四筒五筒六筒五索赤六索六索  六筒横七筒八筒 ドラ六索

感嘆の一手だった。
この形なら、どこからでも仕掛けて条件を満たす聴牌が組める。
勿論、門前での和了りが不可能なわけではない。ただ聴牌する牌を待ち続けることが愚鈍だとは言わない。
しかし――、より聴牌しやすい形がどちらかは明白だ。

次巡上家からドラの六索を食い取ったAさんが、静かに五索赤を放す。

三萬四萬三筒三筒四筒五筒六筒六索六索六索  六筒横七筒八筒 ドラ六索

和了りは時間の問題だった。

闇雲に面子を作るだけの鳴きと、和了りに向かうための鳴きとの違いは天地の差がある。
私は――、平素の生き方と同じく、怠惰なだけだった。
これからの展望や将来を見据えた行動には億劫で、ただ眼前にある楽な選択を拾って生きてきた。

「座っていれば1億の仕事があるんだけど、自ら動けば3億の仕事がある。やっぱり後者を選んだよ。リスクはあっても、自分で行動したいんだ――」

Aさんは爽やかに仕事の話をした。
無論そこにはエリートサラリーマンとしての嫌味の欠片もなく、懸命に奔走する男の姿勢があった。
夢譚のようなAさんの話を、私は上の空で聞いていた。
私は、生き方も麻雀も軽薄で――、
Aさんに抱きたくもない劣等感が湧き上がるのを、ただ抑えるより仕方なかった。
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ひとりの大会

恩師の主催する麻雀大会に、彼女と一緒に出ることになっていた。
当時私は日々の雑務に追われていたため、ほとんど彼女のことは構ってやれずにいた。
彼女のために思うように時間を作れなかった、自分なりの対処だった。
麻雀好きの彼女も喜ぶかと、その日だけは一月も前から予定を空けていた。

ところが当日、彼女は大会に現れなかった。携帯も、繋がらない。
麻雀大会というのは、確定している参加者で人数を調整して行われるものだ。
当日突然のキャンセルが出ては、大会の運営自体困難になる。

「お前がちゃんと連れて来ないと駄目だろう?何やってるんだ」

恩師が責めるのも尤もだ。
私は参加者皆に謝罪し、代わりの知り合いを探した。
幸い程なくして手隙の友人が見つかり、遅れながらも大会は開催された。
それにしても、彼女は何をしているのだろうか――。

ラス前に、下家が仕掛けを入れていた。

裏裏裏裏裏裏裏 三筒横二筒四筒 發發横發 ドラ發

チーしての最終手出しが、五索である。
下家の河は索子の下が安く、聴牌ならば、待ちは五索の跨ぎかカン八索といったところ。
微差でトップ目の私は、以下の形。

二萬三萬四萬五筒六筒七筒三索三索四索四索五索六索七索七索 ドラ發

このとき脇が場に2枚目となる四索を通していた。
四索が全て見え、下家の本命は、やはりカン八索――。
やや迷ったが、打三索とする。
二萬三萬四萬五筒六筒七筒三索四索四索五索六索七索七索 ドラ發

現物を抜くぐらいなら、この形で和了りにかけよう。
下家の現張りだし、待ちは悪くない。
この半荘をトップで終えれば、優勝も見える。
しかし私の待ちが場に零れないまま、先に八索を掴んでしまう。

二萬三萬四萬五筒六筒七筒三索四索四索五索六索七索七索 ツモ八索ドラ發

ただ、私なりに対処はしていた。
この聴牌形なら、さらに打三索八索を使い切って両面聴牌が組める。

二萬三萬四萬五筒六筒七筒四索四索五索六索七索七索八索 ドラ發

――大会の後日、彼女と会った。

「母親が急に入院しちゃってね――。ずっと病院にいたから」

「そう。ちゃんと電話しなよ」

彼女はごめんごめんと微笑った。

彼女がその日他の男性の部屋にいたことを、知るのはもう少し後の話。

私の受け変えた六索九索は河に放たれず、終盤に脇が八索を打ち込んでしまう。
私の瑣末な対処など、実を結びはしなかった。
大会は結局、平凡な成績で終わった。

自分なりに、最悪の事態を避けるための賢しい工夫を図ったところで、所詮無邪気な自己満足に過ぎない。
大会なんて、彼女にとってはどうでもよかったのだろう。
私は一人大会に出て、周囲に謝罪をし、一所懸命麻雀を打っていた。
その間彼女が他所で情事に及んでいようと、ただそれは抗いようのない事実なだけだ。
今となっては、八索を止めたことも、彼女の嘘も――、取るに足らない、私一人の記憶の澱でしかない。
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尾のある店

――ワン!

犬の鳴き声に、はっとした。

その頃の私は、どこか生き急いでいたのだと思う。
就職試験も、大学院入試も悉く失敗し、いいようのない不安を抱えたまま、ただ卒論に追われていた。
久しく牌を握っていなかった私は、ふと日々の焦燥から逃れるように一見の雀荘を訪れたのである。
湯島の雑居ビルの5階に、その雀荘はあった。
3卓だけの狭い空間は、そこだけ時間が止まったように、穏やかな風情を醸し出していた。

私はブランクもあったせいか――、初戦から全く和了ることができず、ただ熱い感覚に肌を濡らしていた。
ここでも私は、牌の巡り合わせに焦るばかりであった。

六萬七萬八萬四筒四筒五筒五筒五筒六筒八筒六索七索八索 ドラ八筒

ラス前に作り上げたのは、ドラ表示牌のカン七筒待ち三色。
しかし聴牌する直前に、場に1枚七筒が放たれている。

――また和了れないだろうな、という感覚はあった。
それでも焦りが冷静な判断力を蝕んでいる。
絵に描いた餅の満貫手に、どこまでも固執して、そうして結局誰かに放銃するのだろう。
何かを求めて牌を触ってみても、苛立ちが収まらないのは日常のままだ。

そのときふと、犬の鳴き声がしたのである。雀荘に、犬?

「――ああ、ケリーが起きたんだよ」

周囲を見渡す私に、店のママが言った。
エレベーターの前に、ドアの方を向いて白いシーズーがちょこんと座っている。
チーン、とエレベーターが止まって、客が入ってきた。
常連と思しき中年の男性に、その犬が嬉しそうにまとわりついている。
聞けば、ケリーは店の看板娘で、いつもああやってエレベーターの前で来客を待っているという。
1階に誰かが訪れて5階のボタンを押すと、ケリーはすぐに気付いてエレベーターの前に走るらしい。
不思議なことに、他の階に止まるときは見向きもしないのだそうだ。
ケリーが吼えれば、すぐに来客がわかる。

そうして初めて、この店の和やかな空気に気付く。
初めてだが、懐かしくも暖かな喧騒。
熱くなっているのは自分だけで――、皆日々の葛藤や抑圧を忘れて牌と戯れていた。
そしてその雰囲気の一端が、ケリーにあることは明らかだった。

そこへツモ二筒と来る。

六萬七萬八萬四筒四筒五筒五筒五筒六筒八筒六索七索八索 ツモ二筒ドラ八筒

水が入って、初めて落ち着きを取り戻した。
ドラ表の七筒は残り2枚。
このまま押すくらいなら――、と打八筒でリーチ。
六萬七萬八萬二筒四筒四筒五筒五筒五筒六筒六索七索八索 ドラ八筒


確かに筒子の下は安く、たとえ2600でもよほど和了れる自信はあった。
そして終局間際に、ゆっくりと三筒を引き寄せる。裏が乗って満貫の和了り。
同卓の客たちが、やっと和了れたね、と暖かい言葉をかけてくれた。
気付くとケリーが足元で、初見のこちらを見上げていた。
私に焦燥感が消え、気持ちが穏やかになったのを、察したのだろうか。

私はその後、近くの雀荘に落ち着くことになる。
ママの店はもう閉店していて、ママはよくケリーを連れて、散歩帰りに私の店を訪れるようになった。
ケリーはもう高齢で、自分ではほとんど歩くことができなかった。

古き良き雀荘の忘れ形見は、昨年そっと、息を引き取ってしまったという。
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ふたり

「今度、兄を連れて来ますよ」

常連の若いサラリーマンが、帰り際にそんなことを言った。
兄弟が同じ店の馴染みになることは稀にある。
兄の趣味に弟が影響を受ける、というのも自然なことだろう。
麻雀に限らずとも、大概は弟が兄に習う形で物事を始め、師たる兄の背中を目指して上達していくものだ。

ところが、彼に伴って週末店に現れたのは、少なくとも師ではなかったと思う。
彼と瓜二つの、もう一人の彼。
誰の目にも明らかな、双子である。
二人はよく似た背広を着ていて、共にアメブラを頼み、同じような煙草の吸い方をした。

双子の麻雀好き、というのは初めてお目にかかる。
聞けば、中高、大学までずっと同じ学び舎へ通い、現在も共にSEとして働いているという。
そこまで似た双子の麻雀には、多少の興味があった。
見ていると、弟の方がやや副露が多く、兄は腰が重い。
それでも二人の摸打の仕草は全く同じなので、つい苦笑してしまった。

勝敗など水物ではあるが、この日は兄に軍配があった。
弟の仕掛けは全て空を切り、兄のリーチは悉く成就した。

その半荘も兄がダントツで、ラス目の弟とは3万点以上の差があった。
しかしオーラス、弟に望外の門清手が入る。

一索一索一索三索三索三索三索四索五索五索五索赤六索七索 ドラ北

四索二索五索八索待ちの4面張である。
四索ならイーペーコーつきの倍満で、兄からの直撃ならトップが入れ替わる。
紅潮した弟の顔つきを見て――、初めて私は双子ゆえに生じる競争心の存在を感じた。
兄は、師匠ではないのだ。
私は負けが込んでいた弟の方を、少しだけ不憫に思った。

下家の兄の手はこんな形で、今にも四索が飛び出しそうではあった。

二萬三萬四萬五萬六萬六筒六筒四索四索五索六索七索八索

ただ、兄もなかなか聴牌牌を引かず、共に無言のままじりじりと数巡が過ぎる。
そして弟の手に、和了り牌である四索が舞い降りた。

一索一索一索三索三索三索三索四索五索五索五索赤六索七索 ツモ四索

兄には届かないが、ツモっては致し方ないだろう。
ところが意に反し、弟は少考していた。
怪訝に思って弟の表情を見る。
待ちが分からないわけもない。

「――カン」

弟は三索を暗カンし、リンシャンをツモ切った。

一索一索一索四索四索五索五索五索赤六索七索 裏三索三索裏

なるほど――。
これならフリテンにもならず、今度は五索八索で三暗刻の倍直に取れる。

次巡兄がツモった牌は七筒

二萬三萬四萬五萬六萬六筒六筒四索四索五索六索七索八索 ツモ七筒

三索の暗カンを見て、兄が八索に手をかける――。

幼少の頃から、互いの評価を幾度となく意識してきたのだろうと思う。
それでも、それが瑣末な劣等感や不和に帰結するかどうかは、周囲の無用な心配なのかもしれない。
身近に好敵手がいることで、互いに競い合い、能力を高めることだってある。
兄は牌姿を確認し、頷いて弟に点棒を払う。
二人が、同じように微笑った。
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雀荘難民

若年のネットカフェ難民の増加が社会問題になっているという。
彼らは、主に日雇いの仕事に従事しながらネットカフェで寝泊りしている、
いわば現代版のホームレスである。
保証人もいないために家を借りることができず、貯蓄がない故に日払いの仕事しかできないでいる。
世間は、そういう将来性のない生き方に対して冷ややかなものだ。
その日暮らしの悪循環から抜け出せないでいる明日無き世代を、
蔑視こそすれ一つの生き方として見守ることはしない。

中林、というメンバーがいた。
彼は、うちで働き出した当初は知人の家に居候をしていたのだが、
その後知人が引っ越してしまったために、もう何年も根無し草でいる。
普段は卓割れ後の店で眠り、金があればサウナに泊まった。
衣服の洗濯は、毎度クリーニング屋の世話になっている。
2、3日に一度、馴染みのクリーニング屋に赴いては、
自宅のクローゼットを開くように、何着か預けてある服から1着を選んで、その場で着替えるのである。
店のオバさんも苦笑しながら、中林が脱いだ服をまた受け取るのであった。
大久保のクリーニング屋のそのオバさんを、中林は親しみを込めて「大久保の母ちゃん」と呼んでいた。
そんな生活も、もともとの奔放な性分に合っていたのだろう。
本人は全く悲観する様子もなく、悠々自適の日々を送っていたのだ。

「あ、明日母ちゃん休みか」

ある金曜の夜のこと。本走中の中林がふと呟いた。
土日はクリーニング屋がやっていない。
中林としては、今日のうちに着替えをしておきたかったのだろう。
時計を見るともう夜9時前で、クリーニング屋は閉店間際である。
ご案内の客が待ち席におり、この半荘が終わればひとまず着替えには駆け込める。

オーラス、北家の中林はこんな形で張っていた。

一萬二萬三萬七筒八筒九筒三索三索三索四索六索北北

役無しのカン五索
中林は微差のトップ目で、リーチ棒を出せば降着してしまう。
しかし、北を叩ければ打六索で和了りは固いだろう。
とりあえずのダマにしていたが、中林は時計をしきりに気にしていた。
出来れば次局にも持ち越さず、早く和了りを拾いたいところではある。

そこへ中林の上家が打五索としてきた。
無論出和了りは出来ないが、中林の手が一瞬止まる。

「・・・チー」

中林は三索四索と晒して、打六索とした。

一萬二萬三萬七筒八筒九筒三索三索北北 五索横三索四索

数巡して、脇が放した北を中林が捉える。
自然な和了りではないが――、立派なバック速攻の1000点である。

和了り方なんて、一通りに決められるものではない。
思う通りに手が望む形になってくれるわけもない。
たとえ歪でも、我々の生活だっていろんな在り方があるはずだ。 

トップの清算もままならぬまま、待ち席の客を急いでご案内して、中林が立つ。

「じゃあすぐ戻るから!」

店を飛び出し、9時を少し回って訪れた中林を、オバさんは暖かく迎え入れてくれた。
金曜の夜だから、帰りの遅い“子供”を待っていてくれたらしい。


雀荘難民も一つの生き方だ。
見守ってくれる人だって、いる。
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女神の大過

阿佐田哲也が玄人を辞める決意をしたのは、四萬四萬の盲牌違いをしたためである。
神様だってミスはする。それは、美しい女神様だって例外ではない。

その夜訪れたのは、才媛として著名な女流プロ雀士。
その清楚な佇まいと男勝りの雀風から、“強気のヴィーナス”という渾名で呼ばれていた。
女神が現れた瞬間、店内はぱっと華やいだ。
客の誰もが突然の美神の降臨に心を奪われた。
女神は新宿で一献飲った帰りだという。
従者と思しき男性を携えて、どんな気紛れかこの場末の雀荘に立ち寄って下さったのである。
いささか微酔い気味であったと、後に女神様は述懐する。
それが一層周囲を色めき立たせて、同卓を務める我々には羨望の眼が集まったのだが――。

女神と従者、それに私を含めたメンバー二人で卓を立てた。
勝負自体は勿論真剣なものだ。女神とてプロ雀士である。気を抜くわけにはいかない。
オーラスを迎え、私がトップ目で女神は2着につけていた。
女神は5200和了れば私をまくる。
序盤、従者が四萬を河に放った。

「――槓!」

女神がなんと、門前からの大明槓。
祝儀牌は一つ使いこなせるし、新ドラも増えるのだから、アグレッシブな攻めと言えなくもない。
強気のヴィーナスらしい夭々たる槓である。
表ドラはヤオチュウ牌で出切れ。
幸い新ドラも、河に飛んでいる端牌だった。
女神の切り出しに注目が集まる。
変則手ではない、素直な河。
役牌は次々と河に枯れており、おそらくは赤をもう1枚以上使ってのタンヤオ手であろう。

親のメンバーが、満を持してリーチを宣言する。
槓裏まである状況で、ここに打つわけにはいかない。
私は現物を打ち下ろし、事の行く末を天に委ねる。それは従者も同様であった。
しかし、女神だけは、自ら運命を切り開くように危険牌を切り飛ばしていく。
そして中盤、女神が四萬を勢い良く横にして叩きつける。

――横?

「あの、大変申し上げにくいのですが――」

三者が女神の晒した大明槓を指差した。
女神が赤面して、四萬を真っ直ぐ戻す。
なんともいえない気まずさを抱えたまま、4人は苦笑して摸打を続けた。
そして終盤、親が切った四萬を見て、女神が筋の四萬を手出しする――。

「ロン!」

親に単騎の七対子放銃である。裏も乗って12000。
女神が呻くように呟いた。
「・・・ああん私も四萬待ちだったのに」

――四萬待ち?

「あの、役はもしかして、リーチですか」

恐れを知らぬ私の問いかけに、女神が慌てふためいた。

「そ、そ、そんなわけないじゃない!」

結局女神の手を拝見すると、

四萬五萬五萬五萬六萬七萬二筒三筒四筒九索九索 五索赤横五索五索五索

ここから四萬を切っての変則3面張であったという。
さらにいうと――、あろうことか女神は、3巡目に四萬を切っている。
大明槓リーチがしかもフリテンで。

微酔いの女神様もこの夜ばかりは――、天の岩戸にでも隠れたかったかもしれない。
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雀王決定戦2

(※これは、2006年に行われた第5期雀王決定戦の内容です)
http://npm2001.com/jannou/5-jannou-2.html


それにしても――、鈴木達也という打ち手は本当に恐ろしい。
今年のAリーグでも750P以上叩いて悠々の決定戦進出であった。
私自身も何度も対戦し、その強さは身に沁みて分かっている。

決定戦の中でも、鈴木にこんな局面があった。

三萬四萬一筒二筒三筒四筒五筒六筒二索二索六索七索八索 ドラ六索

10巡目の平和聴牌。
場に二萬五萬は3枚飛んでいるが、既にこの時点で待ちは山に1枚しかいない。
鈴木はそれを察していたのか、あるいは静かに親落としを狙ったのか、慎重にダマ。

そこへ鍛冶田からリーチが襲いかかる。

一筒二索發六筒九萬二萬白五萬北四萬南横

鈴木が一発目に掴んだ牌は五索
鍛冶田の河は索子待ちが濃い。
鈴木は萬子を払い、すぐにドラの六索をくっつけて追い掛ける。
鍛冶田が一発で四索を掴んだ。六索は鍛冶田の当たり牌である。
彼は非凡な打ち手であり、観る者を引き込む華がある。
私の打ち方はといえば、先手が入れば即リーチ、かわし手は躊躇なく仕掛けて捌く。
他家からリーチがくればすぐに撤退するという、極めて凡庸なものだ。
勝つためだけなら――、それでいいのだと思う。
それでも、プロという名を冠する一員として、鈴木の麻雀には畏怖と憧憬を感じないではいられない。

最終日、私はどうにかポイントを掻き集めてトータル首位に立っていた。
17回戦目の私の親番、南家の鈴木はこんな形の聴牌をしていた。

二萬三萬四萬七萬九萬七筒八筒九筒七索八索九索 ドラ九筒

6巡目、鈴木は下家の鍛冶田が出した八萬を見逃す。
私が大量にポイントを抱えていたため、私の着順をなるべく落とす必要があったのである。
ツモ和了れば親被りもさせられる。
鍛冶田がその後リーチを宣言して――、鈴木の目論見通り、私が現物の八萬を抜く。
鈴木の見逃しに気付いて、戦慄が走ったのを覚えている。

南1局、私がリーチ。

一萬二萬三萬六萬七萬二筒二筒四筒四筒四筒二索三索四索 ドラ北

待ちは悪くもないが、捻りも何もないノミ手である。
次巡、鈴木が場を見渡して、追いかけリーチを敢行する。
ほどなくツモ和了る鈴木。
六萬七萬八萬六筒七筒八筒一索二索三索四索六索七索八索 ツモ一索 ドラ北 裏二索
鈴木は途中五索を連打している。
私の河には一索
執拗に私からの直撃を狙い、私がツモ切るであろう牌で最終形をとった。
後日鈴木は、あれはツイてなかったね、と語る。
自分のツモ筋に一索がいてしまったこと、私からの直撃を取れなかったことを嘆いた。
私のノミ手リーチなど――、鈴木の満直で咎めてもらった方が清々しかったかもしれない。

ともあれ、私は全20回戦中7勝を泥にまみれて勝ち取り、雀王の名を戴冠した。
雀荘メンバー以外の何者かになれたのかというと、正直分からない。
麻雀の内容は、特筆するべきものはない。
大物手などほとんど和了っていないし、遮二無二安手を拾い、他家の当たり牌も沢山掴んでベタベタ降りた。

対局を終え、また通常通り夜番に入る。
その4日間がまるで夢であったかのように、雀荘の喧騒に戻って行く。
確かに、卓上のファンタジスタはいた。
強さも華々しさも、強く私の脳裏に残った。
野草は野に帰ろう。そして少しだけ、勝利を誇ろう。
近代麻雀掲載「東大を出たけれど」 | comments (0) | trackbacks (0)
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