馬場 裕一の麻雀コラム
2010年10月05日(火)
| 馬場 裕一
森山茂和プロの一打
●東2局●東家●2巡目●配給原点
ツモドラ
麻雀の強さを表記する方法として、観戦記などでは「豪腕」という言葉をよく用います。
主に攻撃的な麻雀を打つプレイヤーへの尊称みたいなものですね。
この「豪腕」というイメージに最も近い麻雀プロは?と尋ねると、おそらく業界関係者の多くが森山茂和プロの名前を挙げるでしょう。
しかし、それは半分アタリで半分ハズレなのです。
確かに森山さんは見た目派手で豪快な麻雀を打ちますが、それ以上に繊細な手筋も披露しているんですよ。
むしろ「豪快」より「繊細」のほうがメインかも(^^ゞ
それだけ森山さんは麻雀に対して、常に真摯かつ誠実に向き合っているのであります。
森山さんと初めてお会いしたのは、今から33~34年前、僕がまだ高校生の頃でした。
出会った場所は、麻雀プロ志望の学生や若い社会人が集まる麻雀サークル(研究会?)。
そのサークルには他に伊藤優孝さんやロッキー堀江さん、井出洋介さん、高見沢治幸さん、大沢健二さんらが参加していたんですよね。
当時、森山さんは高見沢さんと一緒に小島武夫先生の事務所を当番しており、僕は学校帰りにちょくちょく遊びにいったものです。
僕が大学に入学すると、森山さんはいろいろなアルバイトを紹介してくれました。
貧困にあえぐ僕を見かねたからかもしれません。
昔から森山さんは後輩の面倒見がよい方だったんです。
いくつか紹介していただいたアルバイトの中で、最も衝撃的だったのが赤坂の「東天紅」でした。
あの「むこうぶち」の東空紅のモデル雀荘、というよりは「東天紅サンマ」発祥のお店といったほうが有名でしょう。
まだ19歳か20歳の僕にとっては、あまりに刺激の強すぎる「闘い」が目の前で連日繰り広げられていました。
お客さんも、赤坂という土地柄もあってか、医者や女優、一流企業の社長、お金持ちのボンボン、さらには怪しげなブローカーから国家権力関係の方まで多士済々。
早い話が、劇画やVシネマの世界がそこにあった感じですかね。
あり得ないような事件にも遭遇したけど、でも毎日が楽しかったなあ~♪
おかげで大学には全然いかなくなっちゃったけど(;^_^A
森山さんの話からだいぶズレちゃいましたが、あの頃に僕の麻雀の根っこが出来上がったような気がします。
小島先生に憧れて麻雀界に出入りし、森山さんから麻雀に対する姿勢を教わり、仕上げが東天紅のオーナーだった川田隆さんからの「実戦教室」。
今思えば、大変な方々から麻雀および麻雀プロとしての矜持を指導されていたわけですね。
いやあ~、マジに冷や汗ものですわ(^o^;
では、ここで森山麻雀の一部をご紹介いたしましょう。
ツモドラ
東2局で親番です。
ドラの 七筒 が2枚あるチャンス手。
そこへ2巡目に 九竹 を引いてきました。
東 発 ともにション牌という状況。
さて、あなたならここから何を切りますか?
この牌姿なら、ほとんどの人が 九竹 をツモ切るか 東 か 発 に手をかけるんじゃないかなあ。
しかし森山プロは、それらの牌を選びませんでした。
なんと少考した後ドラの 七筒 を切り出したのです!w(°0°)w
ジュンチャン789の三色に狙いを定めて、親番にもかかわらず決め打ちのドラ切り!
マンズとピンズで1メンツ、ソーズで2メンツ( 三竹 か 九竹 へのくっっき)を想定した打牌ですが、それにしてもここでドラを見切れるのがすごい。
結果も見事の一語で、この後 一竹 九筒 二竹 と引き込んで11巡目に狙い通りジュンチャン三色のテンパイ。
待ちはカン 八万 。
ヤミテンでも親ッパネ確定だったんですが、森山プロはノータイムで即リーチに踏みきったので2度ビックリ!w(°0°)w
しかも、これをあっさりツモって親倍満8000点オールのアガリに仕上げちゃうんだから、さすがですよね。
大事なのは、2巡目のドラ切りに何の「傷」もないこと。
ドラを引っ張り過ぎていると、下家に仕掛けられている可能性がありました。
つまり、ドラを処理するなら、あの2巡目しかなかったということになります。
手役に狙いを定め、不要牌の処理も的確にこなし、かつ最高形のアガリに仕上げる森山麻雀。
勉強になるところがいっぱいあるのに、本人はあまり公式戦に出てきません。
裏方としての仕事が忙しいからでしょうが、もっともっとファンの前で麻雀を打ってほしいなあと不肖の後輩は願っておる次第です。
もし、森山さんの麻雀を観る機会に恵まれましたら、豪快な手作りよりも、一打一打の繊細な手順に注目してください。
観てるだけで麻雀が上達しますよ~(^^)v
ツモドラ
麻雀の強さを表記する方法として、観戦記などでは「豪腕」という言葉をよく用います。
主に攻撃的な麻雀を打つプレイヤーへの尊称みたいなものですね。
この「豪腕」というイメージに最も近い麻雀プロは?と尋ねると、おそらく業界関係者の多くが森山茂和プロの名前を挙げるでしょう。
しかし、それは半分アタリで半分ハズレなのです。
確かに森山さんは見た目派手で豪快な麻雀を打ちますが、それ以上に繊細な手筋も披露しているんですよ。
むしろ「豪快」より「繊細」のほうがメインかも(^^ゞ
それだけ森山さんは麻雀に対して、常に真摯かつ誠実に向き合っているのであります。
森山さんと初めてお会いしたのは、今から33~34年前、僕がまだ高校生の頃でした。
出会った場所は、麻雀プロ志望の学生や若い社会人が集まる麻雀サークル(研究会?)。
そのサークルには他に伊藤優孝さんやロッキー堀江さん、井出洋介さん、高見沢治幸さん、大沢健二さんらが参加していたんですよね。
当時、森山さんは高見沢さんと一緒に小島武夫先生の事務所を当番しており、僕は学校帰りにちょくちょく遊びにいったものです。
僕が大学に入学すると、森山さんはいろいろなアルバイトを紹介してくれました。
貧困にあえぐ僕を見かねたからかもしれません。
昔から森山さんは後輩の面倒見がよい方だったんです。
いくつか紹介していただいたアルバイトの中で、最も衝撃的だったのが赤坂の「東天紅」でした。
あの「むこうぶち」の東空紅のモデル雀荘、というよりは「東天紅サンマ」発祥のお店といったほうが有名でしょう。
まだ19歳か20歳の僕にとっては、あまりに刺激の強すぎる「闘い」が目の前で連日繰り広げられていました。
お客さんも、赤坂という土地柄もあってか、医者や女優、一流企業の社長、お金持ちのボンボン、さらには怪しげなブローカーから国家権力関係の方まで多士済々。
早い話が、劇画やVシネマの世界がそこにあった感じですかね。
あり得ないような事件にも遭遇したけど、でも毎日が楽しかったなあ~♪
おかげで大学には全然いかなくなっちゃったけど(;^_^A
森山さんの話からだいぶズレちゃいましたが、あの頃に僕の麻雀の根っこが出来上がったような気がします。
小島先生に憧れて麻雀界に出入りし、森山さんから麻雀に対する姿勢を教わり、仕上げが東天紅のオーナーだった川田隆さんからの「実戦教室」。
今思えば、大変な方々から麻雀および麻雀プロとしての矜持を指導されていたわけですね。
いやあ~、マジに冷や汗ものですわ(^o^;
では、ここで森山麻雀の一部をご紹介いたしましょう。
ツモドラ
東2局で親番です。
ドラの 七筒 が2枚あるチャンス手。
そこへ2巡目に 九竹 を引いてきました。
東 発 ともにション牌という状況。
さて、あなたならここから何を切りますか?
この牌姿なら、ほとんどの人が 九竹 をツモ切るか 東 か 発 に手をかけるんじゃないかなあ。
しかし森山プロは、それらの牌を選びませんでした。
なんと少考した後ドラの 七筒 を切り出したのです!w(°0°)w
ジュンチャン789の三色に狙いを定めて、親番にもかかわらず決め打ちのドラ切り!
マンズとピンズで1メンツ、ソーズで2メンツ( 三竹 か 九竹 へのくっっき)を想定した打牌ですが、それにしてもここでドラを見切れるのがすごい。
結果も見事の一語で、この後 一竹 九筒 二竹 と引き込んで11巡目に狙い通りジュンチャン三色のテンパイ。
待ちはカン 八万 。
ヤミテンでも親ッパネ確定だったんですが、森山プロはノータイムで即リーチに踏みきったので2度ビックリ!w(°0°)w
しかも、これをあっさりツモって親倍満8000点オールのアガリに仕上げちゃうんだから、さすがですよね。
大事なのは、2巡目のドラ切りに何の「傷」もないこと。
ドラを引っ張り過ぎていると、下家に仕掛けられている可能性がありました。
つまり、ドラを処理するなら、あの2巡目しかなかったということになります。
手役に狙いを定め、不要牌の処理も的確にこなし、かつ最高形のアガリに仕上げる森山麻雀。
勉強になるところがいっぱいあるのに、本人はあまり公式戦に出てきません。
裏方としての仕事が忙しいからでしょうが、もっともっとファンの前で麻雀を打ってほしいなあと不肖の後輩は願っておる次第です。
もし、森山さんの麻雀を観る機会に恵まれましたら、豪快な手作りよりも、一打一打の繊細な手順に注目してください。
観てるだけで麻雀が上達しますよ~(^^)v